クレーの日記

 

『クレーの日記』が届いた。

最近少し何もかも滞っている。最近って。。。ずっとなんだ。

松岡正剛の千夜千冊を読む
1035夜 『造形思考』パウル・クレー

——さてさて、もし諸君のアタマの中でデザインや編集が進まないというのなら、一度、パウル・クレーに立ち戻ってみるとよい。目からウロコがはがれ、脳のスダレがあがるだろう。それがどうしても面倒だというなら、パソコンを切り、部屋の電気を消して、アタマの中に30分前に浮かんだことをトレースしてみることである。——

 

パウル・クレー・センターで手帳に書き留めた、クレーの使っていた手作りの道具たち。

2006年1月11日 絵描きの道具

: ミハイ・チクセントミハイ: フローについて | TED Talk

――ミハイ・チクセントミハイは問いかけます「人生を生きるに値するものにするものは何でしょう」お金では幸せになれないと気付いた彼は、「フロー」の状態をもたらす活動の中から喜びと永続的な満足を見出している人たちを研究しました。――

 

This talk was presented at an official TED conference, and was featured by our editors on the home page

——————————————————————————————————————————

ミハイ・チクセントミハイ著『フロー体験 喜びの現象学』世界思想社 (1996/8/1)

第1章 幸福の再来

解放への道

>この単純な心理——意識の統制が生活の質を決定する——は遠い昔、実に人間の記録が存在する限りの昔から知られていた。——中略——しかし人間が数千年もの間、自由になる方法、自分の生活を統制する方法を知っていたということが事実ならば、なぜその方向にもっと進歩しなかったのだろうか。

>第一は、人が意識を自由にするのに必要な知識——または知恵——は蓄積されないということである。——中略——どうすれば良いかを知るだけでは十分でない。競技者や音楽家が理論として知っていることを実践し続けねばならないように、実行し続けなければならない。

>第二に、意識の統制の仕方についての知識は、文化の状況が変わるごとに再定式化されなければならないということである。——中略—— 本質的でない要素とこれらの基本的な要素とが区別されないと、自由への道は荒唐無稽な儀式の茨に覆われてしまう。儀式的形態が本質をしのぎ、探求者は出発点へまた戻らねばならない。

>意識の統制は制度化できない。それが一つの社会的規則や規範になった途端、当初意図されていたような有効性は失われ、不幸なことに常軌化が急速に進行する。フロイトがまだ生きているうちに、抑圧者から自我を解放するためのものだった彼の研究は固定したイデオロギーに変わり、厳密に体型づけられた専門職業に変わってしまった。マルクスはさらに不幸だった。経済的搾取という暴君から意識を解放しようとする彼の意図は、間もなくこの哀れな創始者をもたじろがせるような抑圧の体型へと転化した。そしてドストエフスキーその他の多くの者が認めたように、もしキリストが中世に再臨し、解放についての彼の教えを説き諭したとしたら、彼の名のもとに世俗的権力を築いた教会の指導者によって、何度も十字架にかけられただろう。

新しい時代ごとに——おそらく世代ごとに、または我々の生活状況が現在のように急速に変わるなら数年おきに——意識の自立の確立に必要なことがらについて最高し、再定式化することが必要になる。

リヨンと養蚕秘録

 

昨夜はほっこりしながら、以前NHKで見たリヨンの光の祭典 (Fête des Lumières) の動画を探し当て見ていた。 こちらから▶️

光の祭典
毎年12月8日から11日にかけて「光の祭典」 (Fête des Lumières) が行われる。これは、ペストがアルプス以北の欧州で1348年から1353年に流行した際、リヨンのひとびとがフルヴィエールの丘にあるノートルダム聖堂のマリア像に祈りを捧げたところ、流行が治まったことに由来するという。この日の夜はリヨン市内の家々の窓際(感謝の捧げ物としてのロウソクなので、本来はフルヴィエールの丘に面した窓のみ。現在はそれにこだわらない)はろうそくの灯りで彩られ、建物や道路はイルミネーションで飾られる(時間を決めて、各家庭と街の不急の照明を消灯する。ライトアップされたノートルダム聖堂と、窓々のロウソクの明かりが幻想的である)
引用:ウィキペディアの執筆者,2018,「リヨン」『ウィキペディア日本語版』,(2018年6月2日取得,https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=%E3%83%AA%E3%83%A8%E3%83%B3&oldid=68767182)

——以下はリヨンと養蚕秘録——

フランス第二の都市であるリヨンは、絹と織物の街として栄えてきた町なのだが、1855年にヨーロッパ全土に広がった蚕の病気がリヨンの絹織物産業に大打撃を与えた際、その助けになったのがシーボルトが持ち帰った上垣守国(注)による『養蚕秘録』であったことなどを知った。その後富岡製糸場などが建設される。養蚕秘録は但馬の絹の品質があまりよくなかったので品質向上のためにまとめられた本だが、この本の優れた点は、字を読めない農家の女性や子供にもわかりやすいように挿絵を多く用いていたことだ。

上垣守國の『養蠶秘録』がヨーロッパの絹糸産業を救った話ー奥正敬
① https://www.kufs.ac.jp/toshokan/bibl/bibl212/pdf/212-27.pdf
② https://www.kufs.ac.jp/toshokan/bibl/bibl212/pdf/212-28.pdf
③ https://www.kufs.ac.jp/toshokan/bibl/bibl212/pdf/212-29.pdf

(注)江戸時代中期-後期の養蚕家。
上垣守国(1753-1808)宝暦3年生まれ。但馬の国(兵庫県)養父郡(やぶぐん)蔵垣村(兵庫県大屋町)の庄屋。文化5年8月15日死去。56歳。通称は伊兵衛。号は仙栄堂。生年は宝暦1年説もある。蚕種の産地であった陸奥の国(青森、秋田、岩手、宮城、福島各県)を頻繁に訪れて蚕の飼育を学んだ。その成果を纏めたのが『養蠶祕録』である
(京都外大附属図書館 http://www.kufs.ac.jp/toshokan/gallery/france19.htm)

国立国会図書館デジタルコレクション『養蚕秘録』はこちら
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2556952?tocOpened

 

関連記事 2013年8月13日 北但馬のモノつくり

 

MODERN NATURAL DYER

オークランド (カリフォルニア州) A Verb for Keeping Warm

[urlpreviewbox url=”https://www.averbforkeepingwarm.com”/]

先日、スイスの典子さんと日本の草木染めについてちょっと話していたところでした。はんなり渋い色合いの多い日本の草木染めの品を購入し、スイスに持って帰って合わせてみるとなんとなく冴えないと感じることがあると。私などは特に身の回りにある植物で染めるのですが、華やかな色といえば黄色くらいなもので、ピンクや真紅などは染められません。赤が染まってもそれはかなり茶色みの赤やレンガ色とか。ついその色の地味さ加減に物足りなさを感じてしまいます。日本の風土の中で見た色、スイスで見る色。アメリカの色。日本で染めた色、外国で染めた色。確かに水の違いとか、光の違いとか、周りの色との関係とかあるのでしょうか。ただ、この本を開いて見て自分に対して感じたこと、

『私が真面目に、ひたむきにに自然の染めの色と向き合っていなかったから、本当の色が見えなかっただけなのかも』

その上、最近ずっと、心が荒んでいましたから、こんなときは『綺麗な色をを見るのがいい』ということに気づきました。表紙もまるで実物の染め布が置かれているようなのですが、中の写真もとにかく美しい本でした。英語がスラスラ読めたら(スラスラでなくてもいいけど)もっといいのですが。

 

写真集 ARAB

シリアの遊牧民ベドウィンの写真集が届いた。
羊の毛刈り、乳搾り、毛糸紡ぎ、料理、お喋り、笑顔、眠り、子供達、女達、男達、年寄り、羊、駱駝、大地、沙漠、祈り。糸を作りながら、パラパラと親しみ深く眺めている。

〜吉竹めぐみさんのメッセージより〜
新しいもの・便利な物を沢山持っている事が生活を豊かにすると思っている私たちですが、便利なものが良い物とは限らない・・・と彼らと生活をしているといつも気づかされます。
私たちより絶対的に少ないものしか持っていないアラブ(ベドウィン)、でも私たちよりはるかに心豊かに暮らしているアラブ。
もっともっとそんな平和に満ちた暮らしをしている彼らのことを知ってもらいたいです。
大好きな場所で大好きな人たちが幸せに暮らせる事。シリアの争いが一刻も早く終わり、また沙漠に帰れる日を待ち望んで止みません。

 

道化の記憶

 

 

懐かしい本が手元に届いた。ぱらぱらとページをめくり見覚えの有る挿絵を懐かしく眺めていた。

実はこの本の中にもう一つ大きな期待が有ったのだけど、それが実は私の大きな勘違いだと気がついた。

 

道化の短編の物語が別に収録されていると思い込んでいた。

その物語はプロローグで始まりエピローグで終わる。

道化の挿絵ももっと大きなものが1ページに描かれていたように思う。

ところが,どこを探しても無い。

ガラスのくつの中の7章に王子と道化と有るけどそれでもない。

 

道化師、ピエロ、パントマイム、マルセル・マルソー、天井桟敷、

そんなもので、頭の中がいっぱいだった少女の頃の曖昧な記憶。

いったいなんだったのだろうと、検索で調べてみたが出て来たものは。。

 

組曲『道化師』(露: Комедианты)作品26は、ドミトリー・カバレフスキー

http://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=道化師_(カバレフスキー)&oldid=47552788

構成[編集]
第1曲「プロローグ」
第2曲「ギャロップ(道化師のギャロップ)」
第3曲「行進曲」
第4曲「ワルツ」
第5曲「パントマイム」
第6曲「間奏曲」
第7曲「叙情的小シーン」
第8曲「ガヴォット」
第9曲「スケルツォ」
第10曲「エピローグ」

構成の最初と最後は同じ。本の情報などはは一切無い。

 

どなたか、ご存知有りませんか?

 

 

 

茨木のり子(1926-2006)詩人・劇作家

茨木のり子「わたしが一番きれいだったとき」

わたしが一番きれいだったとき
街々はがらがらと崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
誰もやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼差だけを残し皆(みな)発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭はからっぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な町をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽうさびしかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように ね

 

 

 

寺田寅彦ー日本人の自然観

天然の無常は遠い遠い祖先からの遺伝的記憶となって

五臓六腑にしみ渡っている     寺田寅彦

 

 

倫理学者 竹内整一と言う方のコラムを読んだ。

寺田寅彦 著  日本人の自然観 からの一節が心に留まる。

連載のいくつかをメモしておく。

 

 

震災と日本人 倫理学者 竹内整一 (j-cast連載)

連載(1) 「不可抗の威力」受けとめながら、なおしなやかに生きる

連載(11) 家を流されても出なかった涙、お祭りを見てはじめて出てきた

連載(12) 「神様消滅」という藤原新也氏の写真で考える

連載(17) 被災者の再スタートは「さよなら」という日本人の原発想

 

政治のニュースが 醜い

人間の魂は

政治と言う 偽善に

もみくちゃにされて

捨て置かれているような きがする。

 

 

司馬遼太郎 この国のかたち

実家に行った際に、3巻を借りてきた。本借りるからというと、何を持って行くんだと聞くので、この国のかたち3冊と言うと、そんな本を読むのかと言う。(そう、やっとよむきになったのだわよ。)

本の帯とカバーが嫌いで、すぐに取ってしまう。(古本に出せなくなる)しかし、借り物だから無くしてもいけないのでしばらくはがさずに居たけど、そろそろ邪魔になって取ってみると、麻布製ででうれしくなる。資材用の麻の色だ。安曇川の麻かな。。以前買った幸田文全集も欲しいのは一巻だけだったのに、布ばりの製本がうれしくてすべて揃えてしまった。(実は、それぞれの違う格子では、、、と思っていたが、全部同じ布だった)ともあれ、この国のかたち3巻は借り物なので、汚さないようにカバーをかけた。

そうそう、2010年版の歴史手帳を傍らにおいている。今まで、トッチらかって収拾のつかなかった、世界の歴史、日本の歴史、著者の人生、親の人生、私たちの人生を頭の中の同じ引き出しにまとめてみることにしよう。

東大阪市の自宅は司馬遼太郎記念館となっている。生前使っていた書斎はそのまま残されているそうだ。それから、姫路文学館南館には司馬遼太郎記念室が有る。一度行ってみたいと思っている。

JUGEMテーマ:読書

小裂帖~志村 ふくみ

——本書は、著者が織物をはじめた一九六〇年前後から染めて織った織物の残り裂を、

「小裂帖」として紹介するものである。——

 

「小裂」は、印刷では有るが、大きさ、色なども実際の小裂に忠実に再現しているらしい。作り手の悩みや発見、制作の道のりが見えて来るようだ。大型本で高価だが、「日本の古本屋」http://www.kosho.or.jp/servlet/topで探してみるのもいい。

評価:
志村 ふくみ
¥ 8,400
(2007-01-15)

 

手織りの参考書

去年の11月に出版された新しい手織の本のなかに、糊付けの方法が記されていたので早速試す事にした。実は、こういう事が一番大事なのだが詳しく書かれて居る本は少ない。様々な織の手順も写真と図解付きで実に解りやすい本だと思う。

今回は一番糊の小麦粉の種類、絹の紬糸の方法を参考にしたのだが、綿の糸と言う事と、二番糊のでんぷんの種類に疑問が残るが、まず自分で経験してみよう。今日は雪に変わるらしいが、早朝からそんな気配もない快晴。一番糊から二番糊まで、手紡ぎの糸をあまりさばかない方法は、手紡ぎの糸をいためる事がなくて良いような気がする。多分一番の小麦粉で経の強度を持たせて、二番糊のでんぷんで表面を被い糸離れを良くするのだと思われる。まあこれは実際織段階までわからないけれど。夜までには整経が出来るだろうか、楽しみだ。