Press "Enter" to skip to content

司馬遼太郎 この国のかたち

実家に行った際に、3巻を借りてきた。本借りるからというと、何を持って行くんだと聞くので、この国のかたち3冊と言うと、そんな本を読むのかと言う。(そう、やっとよむきになったのだわよ。)

本の帯とカバーが嫌いで、すぐに取ってしまう。(古本に出せなくなる)しかし、借り物だから無くしてもいけないのでしばらくはがさずに居たけど、そろそろ邪魔になって取ってみると、麻布製ででうれしくなる。資材用の麻の色だ。安曇川の麻かな。。以前買った幸田文全集も欲しいのは一巻だけだったのに、布ばりの製本がうれしくてすべて揃えてしまった。(実は、それぞれの違う格子では、、、と思っていたが、全部同じ布だった)ともあれ、この国のかたち3巻は借り物なので、汚さないようにカバーをかけた。

そうそう、2010年版の歴史手帳を傍らにおいている。今まで、トッチらかって収拾のつかなかった、世界の歴史、日本の歴史、著者の人生、親の人生、私たちの人生を頭の中の同じ引き出しにまとめてみることにしよう。

東大阪市の自宅は司馬遼太郎記念館となっている。生前使っていた書斎はそのまま残されているそうだ。それから、姫路文学館南館には司馬遼太郎記念室が有る。一度行ってみたいと思っている。

JUGEMテーマ:読書

4 Comments

  1. toshi 2009-11-20

    紺屋さんおはようございます。
    この本の一冊目の始めに佐野の事がかかれていました。
    ああ、紺屋さんの近所なのだなと思い読んでいました。
    終戦を迎えた佐野の土地で本当の日本を見たように感じたのだと、そのときの気持ちを書かれていました。

  2. 紺屋 2009-11-20

    ご無沙汰です。
    司馬さんは戦時中、栃木県佐野市にいらっしゃいました。
    最近その思い出話が本になりまして、私も一冊頂きました。
    前の工房の直ぐ近くにお住まいだったとか。
    戦車部隊だったそうです。
    ちょっとネットから頂きましてご紹介。
    「…下野の佐野という町は、機業地として知られている。いかにも富裕な町といった感じで、どんなに小さな家でもたたずまいが清潔であった。杉板の表面を炭化させた家々の側面がときどき露地をつくっていて、露地のむこうには軒瓦の列と格子戸が見え、その向こう通りをゆくひとの下駄の音がきこえるほどに静かだった。私は兵隊にとられて二年ぶりで日本の町というものの中を歩いていた。私自身、町育ちのせいか、佐野の露地から露地へ通りぬけるのが、たまらなく好きだった…」(司馬遼太郎『私の関東地図』より)

  3. toshi 2009-11-19

    髭Gさん!いや、髭G、おひさしぶりです。
    いいでしょ、いいでしょ、
    カバー無い方が手触りがいいでしょ?
    辞書と手帳を見ながらなのでなかなか前に進みません。
    途中で著者の他の本も読みたくなりそうですし。

  4. 髭G 2009-11-18

    お久しぶりです。
    私も4冊(1986~1993)持っていますが、ここを読んで見てからレザックのクリーム色のカバーを初めて外すとやっぱり布張りでした。

Comments are closed.