一日中気分が悪かった。すごいストレスを感じた。ニュースはことごとく消した。
私にはうまく言えなかったことが此処にすべて書かれていた。後に読み直してみたい。
http://ryuan12.blog.so-net.ne.jp/2009-02-23
死は白日のもとにブーム化されるべきではない。藤原新也
この映画が作られる一番最初の出発点が、藤原新也 メメント・モリだった事を本木さんはインタビューで話していた。私も若い頃この本と出会い、生きるという事、死と言う事を身近に考えるようになった。だからこそ、このテーマは、もっと慎重に熟慮してほしかったのだ。千の風に、、の歌の事も此処数年心の中でもやもやとした思いを持ち続けている。でもまだ、他所へのリンクでしか気持ちを表現出来ないでいる。自分の言葉にするのには、もう少し時間が必要だ。
2009/03/01 追記
JUGEMテーマ:日記・一般
yuさんこんにちわ。
海外で認められても、問題は何がどう認められたかだと思うんです。「一種の娯楽映画」だと思えば理解出来ると言う意見も有りましたが、個人的にはそういう扱いをしてほしくないテーマでした。
なんだか深く考えさせられました。
私は映画を見たとき、ただ所作の美しさがとても印象的で、いくつか気になる台詞はあったものの深く捉えていなかったようです。本当に上っ面だっかもしれない。
ゆっくり考えたいと思います。
それと、そちらの地方では古くから専門の人が存在していたとも言っていました。たしか、仏壇と神棚の飾り方がちょっと珍しい形態じゃなかったでしょうか?穢れと言う概念は仏教にも神道にもあるけれど、死を穢れととらえるのは神道の考え方のようです。神への信仰が厚かった?、なにかそういう事から山形である必要が有ったのでしょうかね。
ーーwikiの記事で解りましたーーーー
山岳信仰は、もともとが自然崇拝のアニミズム的信仰から発展してきただけに、江戸末期まで神仏習合の形態を取ってきたが、神仏習合が明治以後の神仏分離令により禁止されて以後、もともと真言密教系の修験が強かった出羽三山も含め、寺と神社が分けられ、信仰の本体の多くは神社の形態を取って存続した。
見ていないから、これだけしか書けなかったのだけど、ノミネートされた事でいろいろな場面が紹介されるにつれてすごく不快になってきたんです。だれかがTVのインタビューで、「茶道の心」とか、「日本の文化」なんて言っていたけど、なんか違うと思いました。
話はちょっと違うけど、中川氏が世界に醜態をさらした事より、世界に発信されるあんな重要な場面で側近は何をしていたんだろうかと思う訳です。
そんなものが「これが日本です」と世界中に人に発信されることが、日本人としてとても悔しい。
リンク先のブログ、とても興味深く読ませてもらいました。
あの映画をみていて、薄っぺらいな、と感じたわけが分かりました。
地元ロケの映画なので、思い入れがないわけではないですが、ここだけの話、地方はどこでも良いというような内容ですね。
賞をもらったのは、すんごいラッキーが重なったのでしょうね。