さんぽ

雪がなくて散歩も楽だ。右が母左が息子。いつも引っ張られるのでこのアングル。申し訳ない。

整理

作業場を整理しなきゃいけない。まずは家の方から片付ける。うっかり増えてしまった物を家の方にも持って帰らねばならない。すぐ隣が工房ならいいのだけど、日々の大半は家なのだから。
スイス行き前後を境に変わった事は、周りを変えたいと動いた結果、他の何者でもなく、自分自身が変わっていたと云う事。いや、そうでもない、、、、周りも変わった。でも、それ以上に自分が変わっていったような気がする。

増えたものを入れるため棚を整理していたら、懐かしいアルバムが数枚出て来た。長い事、思い出す事もなかった時代の暮しぶりと、友達を思い出した。たくさんのものを失って、たくさんのものを手に入れた。それから、幾度となく、その頃に帰ろうとした事も有ったけど、手を伸ばせばすぐ其処に有ったのに、なぜか、なんだかとても遠い。それはまるで、このほこりをかぶったアルバムのようなもので。。

時は止まらない。私も止まらない。だけど、ほこりをかぶったアルバムは今までも、これからも、ずっと私の側にある。

脚絆(きゃはん)

ちょっと、覚え書き。
托鉢で、足に付ける脚絆は、膝下の結び目がちょうど足三里にあたるので、さらに足が疲れないで長時間歩けるのだそうだ。冬でも素足にわらじ。近頃わらじも高価になり、白いビニールひもで作った安いものも有る。

うん。。なんていうか

新しい年にまずした事と言えば、ほぼ日手帳を入れ替えたこととか、年末からカタカタ言っていたパソコンを初期化したとか、寺の年賀状の段取りしたけど、賀詞を全部2文字にしてしまい刷り直したとか。「美しいもの」を読んだとか。

暮しがしごと、しごとが暮らし。私の手は、まだ仕事していませんね。

雪がつもってもいい頃なのに、今日と言ったら雷と嵐とみぞれまじりの雨。川の水かさが増すなんて、、、雪解け頃の話しなのに。いつもより気温が高い。湿度も高い。今年の干し柿は、近所のどちらのお家も青黴びがきてしまったらしい。かき餅もうまく出来るかどうだか心配だ。

京都の鏡開きは1月4日


京都が本山のお寺なので鏡開きは1月4日なのだが、4日5日は必ずお札配りのためこの日に鏡開きをしたことがない。昔は檀家さんに手伝って頂き、お供えのお餅をつき直して、ひなあられみたいな、「お炒り」を作っていた。このおいりは、別に作ったおかきと共に、お供えのお米やお布施のお返し、お参りに来られた時のお茶菓子にする。最近作るのはおかきばかりなのだけど、昨年スイスぼけでたくさん作る事が出来なくて、年末にはおかきが底をついてしまった。反省。今年は必ずたくさん作ろうと心に誓う。このおかき、必ず「寒」に干す事。おいしくなるのだそうだ。この地方ではそれぞれお家で作られていて、代々の味、新しく工夫された等のお家の味が有る。

ところで今日はお札配り2日目なのだが、ちょっと風邪気味で熱っぽい私はお休みさせてもらった。一台の車で(実は定員オーバー)配札に回っている。お昼はお好み焼き屋さんに行くそうで、なんだか楽しそうでうらやましくなる。

子供たちの事

たいした事も出来ないまま三が日が過ぎてゆくのだわ。今年も初仕事はお札配りからです。和尚と二人で8人の子供たちを引き連れて、町内あちこちを歩きます。子供たちがお寺に遊びにくる様になってもう10年がたちます。その子たちも上の子はもう高校生。もうお手伝いになんて来てくれないだろうなぁと思いつつ、年末間際に「人手不足なり、お手伝い乞う」とメールしたらば、しっかり人集めしてくれたおなじ村のRちゃん。友達のCちゃんに感謝感謝。掃除をしているとやらせてやらせてと、いつも庭掃除を手伝ってくれたり、おかきを揚げたり干したり皆で食べたりしたなぁ。出会った頃はまだ幼稚園だったY君はもう中学生で卓球で県大会にも出るほどの腕前。大きくなって卓球の練習も忙しくなって子供の頃みたいに遊びには来なくなったけど、けどこうして年に一度手伝いに来てくれる。この子たちのつながりで、友達や兄妹の小さい子も来てくれて、来年、再来年も何とかなりそうだ。

高校3年のN君は、いつもは難しそうな顔で最近は挨拶もろくにしてくれなかったけど、年末お供えを持ってお寺に来てくれた時はなんだかすっきりとした笑顔だった。頭もすっきりと五分刈りになってた。今年は遠慮して声をかけなかったけど。
Rちゃんといつも一緒に遊んでいたYちゃんは中学に上がってからは来なくなったけど、どうしているかな、この前掃除してたら二人が桜の下で遊んでいる写真が出て来た。

私は、子供たちにいろんな事を教えてもらったけど、私は彼らに何を贈ることができただろうか。これから出来る事は何だろう。何か有るとすれば、変わらないこの風景のなかに居る事ぐらいだろうかな。。日に日に変わっていく暮らしだけれど、ずっと変わらないものも無くてはね。

万年青と三椏~2007

玄関や床の間の、お正月のお迎え花には、庭に咲く水仙や南天や椿を使い、お花を買う事も殆どないけど、今年は水仙も椿も殆どまだ咲いていないので、花屋さんで万年青(オモト)を買って来た。水盤への万年青の生け方の決まりもこまかいところはすっかり忘れてしまったし、最近、七宝や剣山を使っての生け花や、これでもかと言う剪定も性に合わなくて、万年青も三椏もそのまんまガッサリと投げ入れにした。花器は、土器を真似た口の広いもので、一見生けにくそうに思えるが、口が四角いのと、内側の面がざらざらしているため、お花の切り口が引っかかり、止まりやすい。
タタキが、がたがたで安定感が無いので、藁織りのための古い木の道具を、花器の不安定を解消するために置いてみたら、愛想の無い台の景色にもなってなかなか良かった。

おめでとうございます


今年もよろしくおつきあいください。
山門の簡素な松飾りを、朝一番に写真に収めました。遅くなった和尚の年賀状には、この写真を使うことにしました。私のは。。。未定。水引むすびは想像しながらの我流なので軽く見逃してください。