3月27日(日曜)は歴代和尚の法要でした。
先先代住職の大道和尚(釈 大道)の50年の法要も行いました。政治問題とは距離を置きたがる仏教界にあって、大道和尚ははっきりとした意見を表明される人物だったようで、『共産党の和尚』と呼ぶ人もいます。2011年の東日本大震災の後、いろいろ調べている中で、過去の地元の火力発電・原発誘致についての記事を書かれたブログを見つけ、岸田川に持ち上がった大規模火力発電への反対運動に大道和尚も中心になって参加されていたことを知り感慨深いものがありました。記事のデーターを頂き以前このブログにアップしていたつもりでしたがどうしても見つからないので、もう一度ここに掲載しておきます。
*火力発電については、現在原発に変わる電源として無くてはならない存在ですが、当時の火力発電の公害の問題はかなり深刻で、現在の原発と同等なほどの捉え方だと考えます。1961年私はこの地に生まれました。高度成長期の真っ只中、大量の電気の消費が始まり、大規模な公害、複合汚染が始まりました。ですから、『原発とともに生まれ育った者』という責任のようなものを感じています。その原発が末代まで、想像もできないほどの年月にわたりというか、もしかして永遠に害を及ぼすのだということに我慢ならないのです。
高浜原発が再稼動したものの、現在裁判の結果により一時停止していますが、あくまでも一時停止です。推進派はなんとしてでも稼動を再開しようとあの手この手を考えています。経済最優先で一時的なほんの一時的な理由で。高浜原発については、『原発の地元とは?』ということを考えさせられます。
【但馬・丹後の日本海沿岸の原発計画】
記事にもあるように関西電力は1960年代の初め『香住町下浜地区の海岸に出力120万kw規模の原発を計画』していましたが、香住町は1965年に「原子力発電誘致対策委員会」を発足させ様々な勉強会を開いて行きます。そんな中、丹後、但馬の日本海沿岸に限りなく近い高浜原発に1969年12月12日 に1号機(出力82.6万kw)の設置許可が下り、1974年に1号機が営業運転を開始しました。同年に関西電力は丹後半島に『丹後半島に240万kw規模の原子力発電所を建設する構想』を発表します。