咲き始め
咲き終い
春さんへ
またこの季節がやって来ましたね。春さんDMありがとうございます。
昨年の11月のDMの絵「野の花をつんで」がとてもすきです。
はかなげなのにどっしりとした存在感とか、
外向きの足下とか。。扁平足のようだとか。。
まるで鏡を見ている様な気もして来ます。
生身の等身大はなかなか見つめる勇気が出ませんが
これなら大丈夫かも。
また、大汗をかきかき伺います。
二階堂より
さて、さて、明日が最終日となりました。お近くの方はぜひ。
わたしは、早朝の長距離バスで行こうかなと思ったりしてましたが、
明日のお天気と気分次第かな。
今朝の雲。韓国の南の方から雲がつながって来ているらしい。今日は梅を干したいけど、午後にはにわか雨との予想だ。地面の水分が蒸発した午前10時頃から始める。

昨日から馬の上に、踏み板のすのこを載せたまま。此処は一番長く日が当たる場所なのだ。昨日は此処に白米を広げて、コクゾウ退治をしたのだった。梅酢も瓶のまま。つぶれた梅は瓶のまま太陽殺菌。そうそう、ひと瓶、大雑把にバットに移したのだが、大きく熟れたやわらかい梅が自分の重みと摩擦で皮が破れてしまった。この梅は、干すまでは最後まで優しく優しく扱わねば駄目だ。来年同じ事しない様に覚えておかなくては。。。次からは一個ずつていねいに取り出して干した。一通り広げたら、はじめに戻ってひっくり返す。

黄色かった梅は徐々にほんのり赤みを帯びてくる。午後3時過ぎには、ざるのまま屋内に取り込み始める。風を送って熱が引いたら瓶につめようか、それとも、もう一日天日干ししようか。なにごとも、お天気次第である。つぶれ梅は、あとで種を取って練り梅にしておこう。


Blogで見かけた茶碗が気になって問い合わせた。
真ん中の写真の白い面取りのマグカップなのだけど、
なんせ去年の事だからもう完売していた。
代わりに今有る物を送っていただく。
土物だけど薄くひいてあり、軽く飲み口も心地よい。
益子の能登実登利 Noto Midoriさん作
いつか自分でも器を作りたいと思っている。
白い釉薬の、この持ち手の下の方の掛け残しとか
この、底の茶色い下地にさらっと掛かったところだとか
左と右に掛かった釉薬のへの字のあとだとか。
焦げ茶の下地が生成りを引き立て
生成りが焦げ茶を引き立て
それがいい。
器の底を三本の指で持って眺めてみる。
時期のずれた梅雨と大雨とで、すっかり畑が荒れてしまい、消えてしまったもの、大きくなれないもので畑の様子がでこぼこだ。写真は側のノカンゾウー野萱草。
19日、川下祭も終わり、気持ちがやっと畑に向かう。思った通り、雨続きで大地は潤い草は伸び放題だ。綿はことごとくなぎ倒されている。マルチのおかげで畝にはほとんど草は無いが、畝のあいだあいだの草はすごい。大汗をかき草を抜く。棉を折れないように起こして根元に土をかう。倒れてから数日たっているらしくもう茎が歪んでいる。摘心を済ませたころにはそろそろ暗くなる。草に埋もれた藍の二畝はまた今度。
20日、日中の気温は毎日35度を越している。庭掃除も畑も早朝か夕方でないとくたばってしまいそうだ。庭の銀杏も相変わらず毎日落ち続けている。外仕事は早朝と夕方、日中は織をしていた。糸が切れまくる。忍耐。暑い、忍耐。
21日と22日の早朝は浜坂の畑へ、竹を持って行き全てに支柱をする。綿は葉が随分縮れている。水不足なのかな。。。肥料か?よくわからない。聞いてみなければ。

花筏の漆黒の実。緑のころより大きくなっている。

萩の花芽も出始めている。
毎日猛暑が続くけれど、もうそろそろ秋の気配。
そう、そう、昨日はミョウガを食べた。初物。
早朝、犬の散歩に行く。あっという間に強い日差しで
畑の草取りには至らず。4時を回って日が陰った頃に始めよう。
お祭りのごちそうを食べ過ぎて昨日は体がどうにかしてしまった。
しばらく粗食にしよう。
川下祭由縁(上島釟郎 編)
祭礼の起こり
享保11年【1726年】 時の庄屋 松岡氏は宇都野神社の隆盛を図り祭礼を行うことを決意。鳥取市 宇部大社に相談を持ちかけたところ、宮司と昔話に花が咲き話題が羽柴秀長の中国攻めに及び、浜坂の砦を守った塩路周防守との関わりになった。塩路周防守の才女は宇部大社の宮司家の娘であって戦いの後、その妻子を松岡氏祖先が匿ったことが分かった。宮司は大いに喜んで祭具一式を提供してくれたと伝えられている
名前の由来
宇都野神社は素盞鳴尊、稲田姫命、大国主命の三柱神をお祭する祇園社である。厄除けと五穀豊穣と国造りの神々で殊に漁師町であった浜坂は漁の隆盛と安全を祈願した。鮑の名水でも語られているように嵩神天皇の四道将軍【山陽、山陰、東海、北陸を平定するため派遣された将軍】彦巫命(ひこいますのみこと)が海路、出雲に向かわれる時、船の修理に塩谷の浜に立ち寄られた。宇都野真若命は其れをお迎えし船の修理を始めたが船底に穴が空いたとき其れを大鮑が塞ぎ将軍は喜び【船魂潮路守】の大神として祭るよう命じられた(宇都野縁起)。当初から海に関わりのある宇都野神社の祭礼として港の入り口であった河口を軸とし【川下祭】とされたに違いない。
写真付きでもっと詳しくは浜坂夢工房/川下祭由縁へ
リンクは先日亡くなられた上島釟郎氏のページ浜坂夢工房にリンクしています。
但し書きに『以上の記述は史実に元ずく証明は有りません。作者の思考によって書かれた文書です』
ということです。が、浜坂の歴史や文化、所在地をまとめてあるページは他には無いので出来れば残してほしいものです。
上島釟郎さんには随分お世話になりました。スイスに行く旅費も山野草の絵を描かせていただいて都合をつけることができました。なにより、今まで知らなかった但馬に咲く山野草を知ることができたのは大きな収穫でした。織がなかなか完成せず、随分ご無沙汰していた事が悔やまれてなりません。
しかし、やっぱりどこか別の場所に行ってしまわれたのだと、そんなふうに思っています。
もしかしたら、田井の南の山頂に有った梨園で、しばしほっこりされているかもしれませんね。
私は一度も見たことは有りませんが、針屋の梨園は桃源郷の様な場所だったそうですから。。


